「ニーベルンクの指環」四部作を聴こうシリーズ。4夜目は「神々の黄昏」。黄昏とはすなわち終末を意味します。壮大な物語も終盤です。それも神々の終焉によって。
→NHK 年末年始特集番組表 バイロイト音楽祭2007
炎によって封印されたブリュンヒルデと愛を誓い合ったジークフリートですが、どうしても外へと冒険を求めてしまいます。そしてその先で出会ったのがあのアルベリヒの息子であるハーゲンです。親譲りというかなんと言うか、陰険な権力欲を持ったハーゲンはジークフリートを計略にかけてブリュンヒルデと“指環”を奪おうとします。力はあるものの、根が素朴なジークフリートはあっさりと計略にかけられてしまい、忘れ薬を飲まされてブリュンヒルデのことを忘れてしまいます。
うーむ、なんというか、ヴォータンの血をひくジークフリートがこうもあっさりとあざとい計略に引っかかってしまう、ということが納得いかないような気もしますが、まあこういう唐突な筋書きはオペラの類によくありがちなことでもあります。こういうところに文学論でも繰り広げるかのような厳しい批評眼をもって臨んでいると話が進まなくなるので、そういうものとして納得するしかないです。それでも、あれよあれよというまに恐ろしい計略に陥ってしまうジークフリートの姿は聴いていても辛いものがあります。それも、アルベリヒとハーゲンの親子による醜いまでの指環に対する執念によるものとくればあまりといえばあまりですねー。しかもブリュンヒルデまでもが計略に乗せられてジークフリートへの憎しみを持つにいたってしまう。このあたりも実に人間的です。真摯な愛情までもが欲望に駆られた計略のもとに敗れてしまうのでしょうか。その答えは神々の燃える炎とともに明らかにされることになります。
いやー、すさまじいものですね。クオリティとクオンティティ。ともに壮大なものです。リヒャルト・ヴァグナーが20数年かけて完成させたという総合芸術。なにがここまで駆り立てたのでしょうか。ひとつで完成させられた楽劇ならあるものの、それを4部作にしてまで作り上げようという思想。ヴァグナーの場合は反ユダヤ主義も含むいろいろな思想が絡んでいるので単純には解釈できないのですが、それでもここまで大きな芸術を完成させようという意思には圧倒させられます。
Tags:Der Ring des Nibelungen, Götterdämmerung, Wagner
nyu : 2007年12月29日 19:35 | Permalink | Comments (0) | Trackbacks (0) | Classic
NHKFMで放送されている「ニーベルンクの指環」四部作を聴こうシリーズ(勝手にシリーズ化)。3夜目は「ジークフリート」です。
→NHK 年末年始特集番組表 バイロイト音楽祭2007
ジークフリートといえば、叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の方での登場人物として知られているだろうと思います。しかし、ヴァグナーの楽劇「ニーベルンクの指環」はいろいろな神話の要素を総合して作られているので関連のありそうな名前が出てきますが、叙事詩の『ニーベルンク―』とは別のものです。
本作に先立つ楽劇「ヴァルキューレ」において惹かれあった兄と妹であるジークムントとジークリンデ。2人の間には結果としてひとりの男の子が産まれます。それがジークフリートです。ジークフリートを産んですぐに亡くなった母ジークリンデに代わって彼を育てたのがこびとのミーメ(アルベリヒの弟)。まさに自然児というのがふさわしい荒っぽいジークフリートは鍛冶師のミーメが鍛えた剣をも一振りで折ってしまいます。そんなミーメにジークフリートは亡き母の形見であり、また亡き父の剣でもある剣ノートゥンクの破片を鍛えて元通りに直すよう要求します。ミーメの技術をもってしても元通りに鍛えなおすことができない名剣ノートゥンク。困りきったミーメのもとに現れたのがさすらい人に身をやつしたヴォータンです。そこでヴォータンはミーメと問答を交わした末に、ノートゥンクを鍛えなおすことができるのは「恐れを知らぬ者」であると告げて去っていきます。
「恐れを知らぬ者」といわれても意味のわからないミーメを尻目にジークフリートは自分でノートゥンクの破片をやすりで粉にし、鍛えなおしてしまいます。「恐れを知らぬ者」とはまさにジークフリートのことだったのです。
最強の剣を手にして意気軒昂たるジークフリート。しかし、一方のミーメは育ての親といっても決して善意で育てたわけではなく、力は強いものの根は単純なジークフリートにラインの黄金と“指環”を守る巨人族ファフナー(大蛇に変身している)を倒させて“指環”を手に入れようと画策していたのです。あくまで欲ずくめのミーメと、「恐れ」という人間的な心を知らぬまま育ってしまったジークフリート。ジークフリートは首尾よく大蛇となったファフナーの心臓に剣を突き立てて倒します。その大蛇の血を浴びたて指環を手に入れたとたんに変わってしまうジークフリートの運命。ヒロイズムに満ちた物語と思いきや、またもや“指環”をめぐって愛憎と策略の錯綜する悲劇が繰り返されることになります。
「ヴァルキューレ」においてヴォータンによって眠らされたブリュンヒルデとジークフリートが出会う、というということがテーマのひとつにもなっている物語ですね。異母兄弟にもなってしまうわけですが、神性を受け継ぐ者の間には血縁などあまり関係ないのでしょうか。しかし、やはりどこまでもヴォータンはじめ神々の浮気な心によって翻弄させられてしまう人間が描かれているということには変わりありません。神々の行動の乱脈さゆえでしょうか、ここにいたって神代の時代の終焉。すなわち「神々の黄昏」が予感させられてきます。
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nyu : 2007年12月29日 19:35 | Permalink | Comments (0) | Trackbacks (0) | Classic
NHKFMで放送されている「ニーベルンクの指環」四部作を聴こうシリーズ。2日目は「ヴァルキューレ」です。「ラインの黄金」が“前夜祭”(Vorabend)なので、続く「ヴァルキューレ」は“第1日”(Erster Tag)という位置づけになっています。
→NHK 年末年始特集番組表 バイロイト音楽祭2007
“指環”のなかの音楽でも有名なこの「ヴァルキューレ」。映画「地獄の黙示録」で使われているということもあるでしょうか。この映画は途中で観るのがめんどくさくなってしまって最後まで見ていないのですが、いかにもなアメリカ的暴虐シーンでこの音楽が使われていたなぁという記憶があります。映画は関係ないので置いておくとして、ヴァルキューレとは「戦乙女」なんて訳されたりもする女神で、戦死者たちのなかから勇敢であった者を死後の世界ヴァルハルへと連れて行き憩わせる、というあんまり有難くないような存在ですね。
さて、「ラインの黄金」の後、ヴォータンは大地の女神エールダとの間にブリュンヒルデという娘を作り、彼女をヴァルキューレとして育てます。また、ヴォータンは人間の女との間にもジークムント(兄)とジークリンデ(妹)という双子を作った……というのが二つの楽劇の間の出来事です。
この兄と妹は互いに行方知れずのままに育ったのですが、ある日ジークムントが敵に追われて逃げ込んだ屋敷で今はそこの主人の妻となっているジークリンデと出会います。無事に邂逅をはたしてめでたしめでたしで終わってしまってはこの上演時間3時間半にも及ぶ楽劇は1時間で終わってしまいます。実はその屋敷の主人フンディンクはジークムントを追っている敵だったのです。敵方の妻にして妹。さらには二人の兄と妹は男と女として惹かれあってしまい、互いに手に手を取り合って愛の逃避行。お昼の噴飯ものドラマじゃないですよ。
そんな人間たちの所業を見ていたのがヴォータンの妻たる女神フリッカです。夫が大地の神と不倫を働くは、人間とのあいだに子を作るわで妻としては怒り心頭。しかもジークムントとジークリンデのことは実はヴォータンが仕組んだこととあって、ヴォータンに詰め寄ります。なにしろフリッカは結婚の女神であるのでそのような醜い関係は許しておくわけにはいかないのです。ヴォータンとフリッカの夫婦喧嘩。例によって(?)ケンカに負けたのは夫ヴォータン。ジークムントとフンディンクの果し合いでフンディンクを勝たせる、と妻に約束します。わが子を殺す、という約束をせざるをえない状況に陥ってしまったヴォータンと神々に運命を翻弄される人間。そして同じくヴォータンの子であり、ヴァルキューレとして育てられたブリュンヒルデ。そのブリュンヒルデがジークムントのもとにその運命を伝えに行くのですが、ジークムントのジークリンデを思う心が血も涙もないヴァルキューレであるブリュンヒルデの心を動かしてしまいます。心を動かされたブリュンヒルデのとった行動と人間たちの運命……。
全部の筋を書くことが目的ではないので途中でやめておきますが、ギリシャ神話のゼウスとヘラにも対応するヴォータンとフリッカ。やはり神話的といえる、神々に運命を弄ばれる人間たち。神話のいろんな要素がごちゃまぜになっていて圧倒されてしまう壮大な物語です。ついでに上演時間もまた壮大です……ラジオは一時停止が出来ないのが辛い。
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nyu : 2007年12月27日 19:57 | Permalink | Comments (2) | Trackbacks (0) | Classic
さて、NHKFMで放送されているバイロイト音楽祭2007。昨日から(放送プログラム上)さっそく「ニーベルンクの指環」四部作、前夜祭「ラインの黄金」がはじまっています。
→NHK年末年始特集番組 バイロイト音楽祭2007
この先も忘れずに聴くことができるかどうかわかりませんが、せっかくなので“指環”だけは一日ずつエントリにしてみようという試みです。本当のところはいままで一度も通して聴いたことがないので、初“Ring”として楽しもうと思っているところでもあります。
この「ニーベルンクの指環」は迂闊な記述だと上演に4日間かかるなんて書かれてしまったりもしていますけど、「4夜」ですね。こんなこと私なぞが説明を加えるまでもないですけど、壮大な誤解をしている方に出会ったことがあるので一応念のためということで。
場所はラインの流れ。美しい「ラインの娘」たちが黄金を守っています。そんな彼女たちに見惚れてニーベルンク族の小人アルベリヒがやってきます。なんとか娘たちの愛情を得ようとするアルベリヒですが、娘たちはそんなこびとなぞてんで眼中になく、彼をあざ笑います。そして娘たちがはずみで漏らした黄金の秘密を耳にするや、アルベリヒはそれを奪って逃げるのです。その奪われた黄金から造られた“指環”こそが、持つものに強大な権力と破滅を与えるという4部作を通じてのテーマとなるものなのです。
一方、神々の主神ヴォータンは自分の居城を造るにあたり、巨人族に建設を依頼するのですが、その報酬として自分の妻フリッカの妹で美の女神であるフライアを与えると約束してしまっていたのです。もちろん妻フリッカはそんな約束をするなんてとんでもないことだと大抗議するのですが、巨人族は契約は契約だと譲りません。ヴォータンとしてもそんな約束は反故にしたい。事態が険悪になってきたところで、奸智に長けたローゲによって、ニーベルンク族のアルベリヒがラインの黄金を奪い、“指環”の力によって財宝を蓄えているという知らせがもたらされます。神々の中の神ヴォータンとしてはその指環をなんとかして手に入れたい。アルベリヒの財宝を巨人族に与えてフライアを取り戻そうという企みとともに“指環”をめぐる争いに巻き込まれていく……。
アルベリヒの黄金泥棒とともに、ヴォータンの神らしからぬいい加減な口約束。そしてどこまでも欲深な巨人族。いきなり「前夜祭」から“指環”をめぐるなまなましい争いが始まっています。でもやはりヴァグナーは引き込まれます。きちんと聴いているといわゆる「ライトモティフ」もよくわかるし、物語だけでなく音楽もまた壮大であることが実感できました。
Tags:Das Rheingold, Der Ring des Nibelungen, Wagner
nyu : 2007年12月26日 20:12 | Permalink | Comments (0) | Trackbacks (0) | Classic